グリーフケアワークのあり方

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悲嘆やそこからの回復については、いくつかの考え方がある。代表的なものが、「段階説」である。段階説は、精神医学者リンデマンが1944年に、急性悲嘆反応のプロセスを示したのが初めてであるといえよう。その後の段階説も、リンデマンのものを基盤にしている。リンデマンによれば、急性悲嘆反応は「身体的虚脱感を示す段階」「自分も死んでしまいたいという気持ちをもつ段階」「罪悪感の段階」「敵対的反応を示す段階」「通常の行動パターンがとれなくなる段階」の5つの段階を経るとしている。リンデマンは、グリーフワークという用語を初めて用いたことでも知られている。


代表的な段階説には、1969年にキューブラー・ロスが、死にゆく人の心理過程を「否認と孤立」「怒り」「取り引き」「憂鬱」「受容」の5段階として示した。グリーフワークにおける段階説の進展に影響を与えている。

これらの段階説の中でもデーケンの12段階は,「精神的打撃と麻痺状態」から始まり,「否認」「パニック」「怒りと不当感」「敵意と恨み」を経て、「罪意識」「空想形成。幻想」「孤独感と抑うつ」「精神的混乱と無関心」「あきらめ―受容」へと続き、やがて「新しい希望―ユーモアと笑いの再発見」と「立ち直リー新しいアイデンテイテイの誕生」を迎えるというものである。デーケン自身も述べるよう、この段階の内容は個々の遺族によって多様であり、またこの順番でなかったり飛び越えたりする。おおむねこの段階を経るものの、多様性・個別性があり、人によって相当異なることを前提としている。これらの段階はいずれも、死別という喪失体験をした人が当然たどっていいプロセスであり、いわゆる正常なものとされている.

こうした段階説に対して,「課題モデル」というものがある。ウォーデンは、グリーフワークの課題として4つを挙げている。段階モデルが自然な癒しを前提としているのに対し、ウォーデンは各課題は死別をした人が自ら取り組む課題であるとし、時間の流れに任せればいいというものではないとしている。そして、死別後にこれらの課題を達成しながら新たな生活に適応していくのが悲嘆からの回復であると捉えている。



ボウルビー(1958)
1. 心の麻痺(緊張した状態や不安状態が数時間から1週間続く)
2. 思慕と探索(怒りとともに故人を探し求めて取り戻そうという行動を示す)
3. 混乱と絶望(死別の現実が変えられないことを認識し絶望する)
4. 再建(情緒的なエネルギーを新たな関係に注ぐ)


エンゲル(1961)
1. ショックと否認(死別を否定し衝撃から自分を隔離する)
2. 喪失を認識する(喪失の自覚が強まり、喪失感や身体上の病状が表出する)
3. 快癒と回復(喪失による傷が癒されて健康な状態が再び取り戻される)


パークス(1972)
1. 心の麻痺(感情が麻痺した状態が数日間続き、強い苦悩感が表出する)
2. 切望(故人を愛慕し探し求めずにはいられなくなり、探索行動をする)
3. 絶望(抑うつ状態で人と接触しないようにひきこもり、 自分の居場所を確立する)
4. 回復(生活の変化に適応し新たな自己を見出す)







悲嘆のプロセスとグリーフワーク

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人は基本的に胎児と呼ばれる時期を経て、生まれ、発育・成長し、発達と成熟を経て衰退し、やがて必ず死を迎える。こうしたプロセスはライフサイクルと呼ばれている。

子ども、親、夫・妻、兄弟姉妹、親戚といった家族や親族のみならず、近隣の人、友人・知人など、場合によってはメディアを通じて知っている人なども含め、何らかのつながりのあった人が亡くなるという経験は、 日常的によくある話である。「死」は、人の限界を意識させられるものであり、また「生きる」とは何かを改めて考える契機ともなる。

広辞苑で見ると、「死別」は「生きわかれ」を意味する「生別」との反対語であり、「しにわかれ」を意味するとしている。また、「遺族」は「死者の後にのこった家族・親族」としている。死別は、大切であると思っていた人を喪失することであり、その喪失体験に対する感情反応として「悲嘆(グリーフ)」が生じる。悲嘆は、単なる悲しみだけでない。怒り、罪悪感、自責の念、絶望、不安、無力感、孤独感など、さまざまなものを包含し複雑なものとなって悲嘆になる。

そして、日々揺れ動き変化する中で、その悲嘆を乗り越え、故人と別れた中でどう生き抜くのかを考え実行していく悲嘆作業すなわちグリーフワークをしていく。

グリーフワークという用語は、保健・医療・福祉・看護・心理などの分野で、近年頻繁に用いられるようになった。しかし、実際的にはその用語のみ、つまり「悲嘆からの回復」という意味合いのみが先行して一般化したものの、その本質についてはあまり触れられていないという印象がある。それは、専門家にしても同様であり、しかも少し古い教科書で学んだ方々にとっては、新しい知見を得ることなく、実践がなされている危惧も抱く。

そこでここでは、悲嘆とそこからの回復のプロセスについて、歴史的にどのように議論されてきたのか、その経緯の一端を概観していくこととしたい。



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